フィッティングルーム

ロンドンのアパレルで働いていたときに、一番好きだった仕事が倉庫の中の仕事だった。誰にも会うことなく無言で働くことができたからだ。

二番目に好きだったのがフィッティングルームの仕事。どういった仕事だったのかというと、お客さんが持ってくる洋服の数を数え、その数が書かれた札を渡し、空いているフィッティングルームへと案内するというもの。またフィッティングルームは埃がたまりやすいので、モップをかけるのもフィッティングルームの大事な仕事だった。

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頼んでもいないのに僕は女性用のフィッティングルーム担当だったのだが、困ったことにイギリスでは彼女と一緒にフィッティングルームに入りこもうとする輩(彼氏)が多く、油断していると勝手に入っていってしまうのである。フィッティングルームは他の女性客も使用しているのでので、そういう輩にお灸をすえてやるのもフィッティングルームの大事な仕事の一つであった。

そんな楽しいフィッティングルームの仕事には、大変な仕事も三つほどあった。

 

一つ目は、着替え中のお客さんが間違ったサイズの服を持ってきてしまったときに、違うサイズのものを取りに行くように頼まれること。フィッティングルーム周辺に同僚がいるときはお願いすることができるのだが、誰も見当たらないときは自分で取りに行かないといけない。その間に他のお客さんが勝手にフィッティングルームを使われてしまうと、持ち込んだ洋服の数を数えられないので盗まれてしまうかもしれないのだ。

だが僕が最も恐れていたことは、洋服が盗まれることなんかではない。お客さんに勝手にフィッティングルームを使われてしまったことがパワハラ上司(マネージャー)にバレてしまうことだった。

その上司とは、面接の話のときにも話したあの上司。最初は優しかったはずなのに、気が付くと超がつくほどのパワハラ上司となっていたのだ。

だから、お客さんから違うサイズを持ってくるように頼まれ、近くに誰もいないときには、全速力で店内を駆け回っていた。

 

二つ目は、フィッティングルームのチェック。お客さんによってはカーテンを閉めたまま出てくることもあるで、どこが使用中でどこが空いているのかがわからないことがある。フィッティングルームにはゴミやホコリがすぐに溜まってしまうので、頻繁にモップがけをしないといけない。しかし女性が着替えている中、空いている部屋を探すことは至極困難な作業だった。一歩間違えていたら、警察に連れてかれていたかもしれない。

たまにワールドクラスの悪臭(靴を脱いだときに発生したと思われる)をフィッティングルームに残していく、とんでもないお客さんがいた。すごい回転率を誇るフィッティングルームだったので、残念ながら一体誰が犯人だったのか特定できないことがほとんどだった。犯人は涼しい顔をして逃げていく中、一番の被害者となるのは次にそこを使用することとなるお客さん。僕も何度か入ったことがあるのだが、はっきり言ってその空間で着替えることができる人間は張本人以外に存在しないだろう。そのあまりの臭さに、助けを求めてきたお客さんは数知れず。その度に僕は消臭スプレーを片手にその部屋へと向かうのだった。

勘の鋭い方ならお分かりだと思うが、僕がフィッティングルームのチェックを大変な仕事に入れている理由は空いている部屋のチェックが大変だとか臭いがヤバいとかそんなちんけなレベルの理由からではない。ゴミが溜まっていていたり消臭できていないことが奴にバレると怒られるからである。

 

そして三つ目。これがフィッティングルームの中でも一番危険を伴う仕事だった。

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僕が働く店はオックスフォードストリートという超有名なショッピングストリート沿いにあったこともあり、休日にもなるとフィッティングルームの前には長蛇の列ができる。長いときだと20分以上待たせることもあった。

女性用のフィッティングルームだったので、男性客は別の場所にある男性用のフィッティングルームを使用しないといけなかったのだが、ある男性客が間違ってその列に並び、20分くらい待たせてからそこが女性専用のフィッティングルームだということを伝え、激怒されたことがあった。それ以降、フィッティングルームの中だけではなく列にも気を配るようになった。

 

そんなある休日、いつものように長蛇の列ができていた。小慣れた感じで列にも目を向ける僕。すると一人の男性が列の最後尾に並んだ。過去の失敗から学びを得ていた僕は、すかさず注意しに行く。「ここは女性のフィッティングルームです。男性のフィッティングルームは地下ですよ」と。

それに対して彼が何かを言ったのだが、全く内容は覚えていない。しかし、その声がまぎれもなく女性の声だったということは今でも鮮明に覚えている。

申し訳なさのあまり縮こまってしまった身体でフィッティングルーム内にある定位置まで戻る。そして、振り返ったときには彼女の姿はもうなかった。

 

この大事件を受け、男性が並んでいても注意するのをやめようかなとも思った。しかし、そうしてしまうと奴に怒られる。奴は他のマネージャーたちよりも明らかに働かないくせに、誰よりも文句を言ってくるような上司だった。それもものすごいスピードの英語で捲し立ててくるものだから、必要以上にびびってしまう。

上司とお客さんの板挟みになるフィッティングルーム、本当に大変な仕事だ。

 

 

また別の日、僕(180cm)よりも身長の高い、どこからどう見ても男性としか形容のできないお客さんが並んでいた。

僕の頭の中には奴の怒った顔が浮かび上がってきたので、勇気を振りしぼり彼に男性用フィッティングルームの場所を伝えにいった。すると一緒に並んでいた彼の友達(女性)が急に怒りだしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「彼は女性よ!」

 

 

 

 

 

 

そう。彼は見た目は男性だが中身は女性だった。

 

その一件以降、失礼な発言をするよりも奴に怒られる方がまだマシだと思うようになったのだった。

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