石巻でボランティア活動に参加!被災地を見学してきました。

2011年3月11日に起こった東日本大震災から約2カ月後、ヨーロッパの旅を終え日本に帰国した僕は石巻へボランティアをしに行きました。

期間は2週間とそこまで長くはありませんでしたが、想像を絶するほどの世界を目の当たりにすることとなりました。

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宮城県石巻市への窓口となる石巻河南インターチェンジに到着して最初に僕の目に飛び込んできた景色は、テレビで見たり話で聞いていたような壊滅的な場所ではなく、人々が普通に生活をしているような街でした。

地震が発生してから2カ月近く経っていたことと、海から2~3km離れた場所にあったことで石巻河南IC付近はすでに復興が進んでいたのかもしれません。

 

 

 

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海から1~2km離れた地域。建物は無事に残っていたのですが車は流されていました。

 

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冷蔵庫と洗濯機。海水に浸かって動かなくなってしまったのでしょうか。

 

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この地域では約1.5mほどの高さまで海水が流れ込んできていたことが、建物に残る跡から読み取ることができます。

 

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街のいたるところに車が転がっていました。

 

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地震が起こった日に日本にいなかった僕でも、いかにあの津波が恐ろしいものだったのかということが一目でわかります。

 

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この地域のほとんどの家で使われていた冷蔵庫や洗濯機が壊れてしまったのでしょう。それでも港付近にある家に比べれば、ぜんぜんマシな方なんですよね。

 

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2カ月経っても、車を下ろすことすらできていない状況に驚きを隠せませんでした。

 

 

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僕が2週間お世話になったのが、石巻専修大学のグラウンド。ここにテントを張らせてもらいました。

ボランティア活動は朝8時頃集合場所に集まりグループ分けをしてもらいます。そしてグループごとに助けを必要とする家へとお手伝いに向かいます。

 

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この日は、中までめちゃくちゃになっていた家を手伝うことになりました。まずは全ての荷物を外に運び出します。

 

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荷物を外に出したら、床の上に溜まったヘドロを処理していきます。ヘドロはめちゃくちゃ重いし、吐きそうになるくらい臭かったです。

 

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家の隣には線路が敷かれていたのですが、見てください。砂利が流されて線路が宙に浮いています。

 

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家の前は運び出された荷物でいっぱいになりました。

一番厄介だったのが、この畳。水を吸った畳は想像以上の重さになっていて、1枚の畳を男4人がかりで運び出していました。

 

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こんな高さにまで海水が流れてきていたんです。家の中までめちゃくちゃになるわけです。

 

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この街ではどこにでもあるような光景ですが、冷静に考えたらありえない事態になっています。

 

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運転中の車がぶつかったとしても、ここまで曲がることってそうそうありませんよね。津波の威力がいかに凄まじかったのかを教えてくれています。

 

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卒業アルバムが落ちていました。

写真だったり、何か大切そうなものを見つけたときには、大学の敷地内にある回収場所まで持ち帰ります。

 

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街中にこんなものが普通にあるんですよ。すごいバランス感覚…

と見せかけて、実は柱の後ろにあるワイヤーにも支えられていました。それでもすごいんですけどね。

ちなみに車の横にいるチンピラみたいなのが僕です。

 

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このように手つかずの場所がたくさんありました。瓦礫の下には、まだ見つけてもらえていない人たちが眠っていたかもしれません。

 

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家の基礎しか残っていない場所もたくさんありました。

基礎の上に存在していたはずの建物は全て流されてしまったということです。信じられませんね。

 

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魚ですら、津波には逆らえないのです。これが現実なんです。

 

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車が地面に突き刺さり、電柱は曲がり、電線は切れ、瓦礫が散乱し、海水に浸かった植物は枯れ果てる。まさに地獄絵図です。

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ここで、僕がお手伝いに行った、とある家の主人の話をさせていただきます。

 

その方は地震発生後すぐに、家から離れた場所にいた奥さんを車で迎えに行きました。

無事に奥さんの元へと辿り着くことができたのですが、帰りは渋滞に巻き込まれてしまいました。

ニュースにもなっていましたが、地震発生後には大勢の人が車に乗っていたそうです。

 

ぜんぜん動かない渋滞…

のはずが、窓の外を見ていると何か様子がおかしい。

その時、とんでもない光景が彼の目に飛び込んできたのです。

 

なんと津波が次々と車を飲み込んでいたというのです。

道路は渋滞しているため逃げ道はない。

津波に飲み込まれるのを待つしかない状況。

その絶体絶命のピンチに「もうダメだ」と悟ったんだそうです。

 

しかし奇跡的なことに、彼の車の真横にはホームセンターの立体駐車場の入口がありました。

迫り来る津波に怯えながら車を走らせ、彼の車とその後ろ2台の車はなんとか助かることができたのでした。

残念ながら彼ら以外の車は全て津波に流されてしまったそうです。

その後、数日間ホームセンターの中に閉じ込められるも、みんなで暖をとりながらなんとか生き延びたそうです。

 

 

「もし津波が見えたときに、立体駐車場入口が横になかったら間違いなく死んでいた」

この言葉は今でも僕の心の中に残っています。

 

僕がお手伝いをさせてもらった家にはこんな感じで、九死に一生を経験をされた方が何人かいました。

また、身近な人を亡くされた方も多く、その辛い経験談を涙ながらに話してくださったことは一生忘れることはありません。

 

 

 

 

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車が津波に飲み込まれていった話を聞いてからは車を見かける度に、人がまだ乗っているんじゃないかと覗いてしまう自分がいました。

 

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屋根の上に車が乗ってしまう光景なんて、この先一生拝むことはないと思います。

 

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津波に流された車の中には一見無傷のようなものあれば、無残なまでにボコボコになってしまったものもあります。

この車にだけは誰も乗っていなかったことを祈りたいです。

 

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このアパートは地震発生から2カ月経っているのに、全く手をつけられていない状態で残っていました。

一緒にボランティア活動をしていた人の中には葬儀屋で働いている人たちがいたのですが、このアパートの中にはまだ人間がいると言っていました。なぜそれが分かるのかというと、彼らには亡くなった人間の匂いが分かるからです。

 

 

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一番被害の大きかった港近くにやってきました。ほとんどの建物が流されてしまった地域です。

 

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このレベルになるとボランティアがお手伝いできることはありません。自衛隊の管轄になります。

 

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あの黄色い所に避難していたら助かっていたんだろうな…と。被災地にいると、たらればを考えてしまいがちになります。

でもきっとこれは、残された遺族の方が一番考えてしまうことかもしれません。

 

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この門脇小学校は津波にあった後に火事になりました。津波で流された車が校舎にぶつかり火事になったと言われています。

 

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どういうわけか、津波に流されなかった家もところどころに残っていました。

 

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この日の石巻は、青空が広がっていました。

第二次世界大戦終戦の日も晴れていたと聞きましたが、こんな感じだったのかもしれません。

 

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門脇小学校の写真を見てもらうとわかるのですが、校舎の後ろが高台になっていまして、高台の上はほとんど津波による被害はありませんでした。でも、高台からの景色は目を伏せたくなるような光景が広がっていました。

ほんの数十メートルの差が、こんなにも大きな違いをもたらすことになるなんて、高台の下に家を建てた人は考えてもいなかったでしょう。

 

 

 

僕はこれまでいろんな国を旅してきましたが、未だかつて「死」を予感させるような体験をしたことがありません。

インドのヴァラナシで、亡くなった方が火葬されるところを何時間も見続けていたことはありますが、その経験は僕の中での「死」に対する考え方について教えてくれたものであり、実際に「死」という恐怖を感じるようなものではありませんでした。

 

リアルな恐怖を感じたことがなくても、被災地を訪れてみて分かったこともあります。

日本という国は地震大国であり、このようなことが自分にも起こりうるということ。「死」は「いつか来るもの」ではなく「いつ来てもおかしくないもの」だということを。

 

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