
ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ。
ついに東ヨーロッパにきたな、という独特の雰囲気漂うサラエボは、歴史に詳しくない僕にとって衝撃的な場所でもありました。
朝7時前にサラエボ中央駅に到着しました。駅にあったインフォメーションで地図をもらったのですが、インフォメーションのおばさんの顔にヒゲが生えていておじさんみたいだった、というどうでもいい情報がしっかりとした字で旅ノートに刻み込まれていました。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
スナイパー通り。約20年前に起こったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の時に、この通りを歩いていた多くの一般市民が、ビルから狙っていたセルビア人狙撃手の標的となりました。
セルビア人勢力によって行われたサラエボ包囲。その時に世界中から集まったジャーナリストたちが泊まっていたホテルが、左に写っている黄色の建物「ホリデーイン」。今なお営業しております。
これまで訪れたどの国よりも、暗いテイストの建物が並びます。
これこそ僕が思い描いていた東ヨーロッパといった感じ。左の建物の窓にはガラスがなく、廃ビルと化していました。内戦が終わってからずっと使われていないのでしょう。駅近でまあまあ立地が良いんですけどね。もったいないです。
サラエボには銃の跡が残っている建物がたくさんありました。3年半以上続いた紛争での死者は約20万人と言われています。日本人の僕としては、人種とか宗教の違いで戦争をする人の気持ちがいまだに理解できませんし、たぶん一生理解することもないでしょう。
1984年に行われたサラエボオリンピックで使用されたグラウンドは、現在公園として使われているのですが、内戦で亡くなった大勢の方が眠っているんだそうです。
旧市街バシチャルシア
中央駅からスナイパー通りを通って、旧市街バシチャルシアへ。
江戸時代の日本を彷彿とさせる街並みが、なんとも言えない心地よさを感じます。
スナイパー通りとは大違いで、ボスニアのオシャレな一面が垣間見えます。
たまたま出会った日本人の旅人にボスニア風コーヒーをご馳走してもらいました。
親切にしてくれる人との出会いが増えてきたので、そろそろ僕も誰かに親切を返したいなと思います。
カトリック教会のサラエボ大聖堂。
奥に見える建物がガジ・フスレヴ・ベイ・ジャーミヤといって、この国で最も重要とされるイスラム教のモスクです。
サラエボで最大のセルビア正教会の生神女誕生大聖堂。
ボスニア・ヘルツェゴビナはイスラム教、クロアチアはカトリック、セルビアはセルビア正教会の人が多数派となっています。こうした派閥が内戦を生み出したわけですが、今でも旧市街バシチャルシアは他宗教の集まる場所として存在しています。
ちなみに、この旧市街にはユダヤ教のシナゴークもあるそうです。
第一次世界大戦の原因となったサラエボ事件とは?
のどかに流れるミリャツカ川ですが、この川に架かった橋で起こったある事件がきっかけで第一次世界大戦は始まりました。
1914年にオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻がボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプにより銃撃されました。この川に架かっているラテン橋で起きたその事件を「サラエボ事件」と呼んでいます。
これがきっかけとなり、オーストリアはドイツやオスマン帝国などと中央同盟国を組み、ボスニアを含めたロシア、イギリス、フランスなどからなる連合国と戦いを始めます。これが第一次世界大戦へと発展していったのです。
そんな大事件が起きた場所でもあるサラエボ。20年前には紛争も起こっていたわけですからね。これ以上、争いが起きないことを願いばかりです。
駅に戻ってきました。おばさんにヒゲが生えていた、とか旅ノート書いていた自分が恥ずかしくなります。
この日はセルビアの首都、ベオグラードへと向かいます。
内紛が終わって20年近く経ちますが、まだまだ戦争の爪痕が残るボスニア。この景色を眺めてからセルビアに行くのは、ちょっと複雑な気持ちでもあります。
34日目:ベオグラード観光!治安はそんなに悪くなさそうな印象を受けました。
32日目:リュブリャナからザグレブへ!そのまま夜行列車でサラエボへ!
映像とともに歴史を感じることが出来本で読んだサラエボ事件や宗教の多様性が感じられました。